ホーム > 書籍情報 > 歴史ポケット新聞 > ポケスポ立ち読み > 【野球】大隈重信も困惑。早慶戦ついに中止に [明治39年]
明治39(1909)年11月11日 |
【東京本社】1勝1敗のタイとなって、11月11日に予定されていた早慶戦第3戦だが、双方の応援合戦がヒートアップしたことで、前日に急きょ中止となった。
早慶ともに1勝を挙げ、雌雄を決するはずの早慶戦第3戦が、試合前日の11月10日になって、突如中止となった。決戦を前に、ますます過熱する両校の応援に憂慮して、両校当局者による緊急会談で決定したもの。さらなる混乱と不慮の事故を避けるため、試合は無期限中止となった。
第1戦は10月28日、早大グラウンドで行われた。250名の応援団を引き連れて乗り込んだ慶大が、2―1で勝利をつかむと、試合後同校応援団は大隈重信総長邸の門前で「慶應バンザイ」などと凱歌を上げて、大ハシャギ。
これに憤慨した早大は11月3日、慶大三田綱町グラウンドで行われた第2戦に、1200人もの大応援団を動員した。今度は早大が3―0で勝利を収めると、三田の通りで応援歌の大合唱を行いながら練り歩いた。
勝負が決する第3戦(三田)は、過去2戦の混乱から早大・安部磯雄野球部長が応援全廃を提案していたが、両校の話し合いが決裂。早大が校友を含む1万人を動員し、さらに応援団員が馬上から応援を指揮する計画だったという。また、対する慶大は試合当日の午前5時から3500人の応援団で観客席を占拠するとの情報もあり、混乱が心配されていた。